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千葉雅也さんの「現代思想入門」を読んで感じたこと、考えたこと

哲学や思想というと「なんだかとっつきにくい」とかと思う反面、不安定な時代だからこそ関心も持つ方も多いのではないでしょうか?

千葉雅也さんの『現代思想入門』が、「現代思想の入門書の入門書」という位置づけで読みやすく、かなり売れているということで読み始めました。

結論から言うとめちゃめちゃ面白いし、視野を広げるのに非常に有益でした。

そこで今回は、その内容をまとめながら、自分自身が感じたことを書いていきたいと思います。

なぜ「現代思想」を学ぶのか?

千葉さんは、本の冒頭で、「なぜ今現代思想を学ぶのか?」という真っすぐな問いについて、このように答えています。

現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。単純化できない現実の難しさを、以前より「高い解像度」で捉えらえるようになるでしょう。

現代思想入門 p.12

千葉さんは、現代社会は「きちんとする」方向へ改革が進んでいる、つまり秩序化が進んでいると言います。

それは一見いいようにも聞こえますが、秩序から外れるもの や、だらしないものをルール通りにしたい、クリーン化したいという要望が強くなりすぎているとも言えるのです。

何か問題が起きた時に、その例外性や複雑さは無視され、一律に規制を増やす方向に行くのが常になっていきます。

それこそが「単純化」です。

そういう背景があるからこそ、秩序を強化する動きへ警戒心を持ち、秩序からズレるもの、「差異」へ注目を持つために、現代思想は重要だというのです。

グレーゾーンにこそ人生のリアリティがある

白黒をはっきりとつける社会の流れの中でも、大切な考え方として違いを認めることが言われてきました。その上で、間の考え方を簡単に捨てずに「グレーゾーン」をもつ意味についても述べられています。

能動性と受動性が互いを押し合いへし合いしながら、絡み合いながら展開されるグレーゾーンがあって、そこにこそ人生のリアリティがある。

現代思想入門 p.29

なかなか興味深い言葉です。

世の中は、簡単に白黒はっきりとつくことばかりではないですし、だからこそ人は色々な問題で悩んだり、もがいたりするのかもしれません。

「現代思想」の範囲

ミシェル・フーコー ポスト構造主義 現代思想 : koko書房
引用:http://kokosyobou.livedoor.blog/archives/7560427.html

本書で扱う「現代思想」とは、1960年代~90年代のフランスで展開された「ポスト構造主義」の哲学を指しています。

そして、その代表的な人物として、デリダ、ドゥルーズ、フーコーの3人を中心に、話が展開していきます。

そもそも、ポスト構造主義とは何でしょうか?

まず「構造主義」を捉える必要があるかもしれません。構造主義とは、物事を常に二項対立として捉えて、現象の意味をそれ自体からではなく、それと関係する社会や文化の構造から読み取ろうとする考え方です。

その上で、「ポスト構造主義」のベースとなっているのは、「脱構築」という考え方です。

千葉さんは、脱構築をひと言でこう表しています。

脱構築とは、物事を「二項対立」、つまり「二つの概念の対立」によって捉えて、良しあしを言おうとするのをいったん留保する。

現代思想入門 p.25

価値観が多様化する中で、そもそも二項対立は成り立ちません。だからこそ、二項対立で単純化された考えを一旦やめてみる必要があるのでしょう。

デリダ「概念の脱構築」 

ポスト構造主義=現代思想とは、「差異の哲学」である、千葉さんは言ってます。

そして、二項対立において差異の方を強調し、ひとつの定まった状態ではなく、ズレや変化が大事だとか考えることが現代思想の大方針だとしています。

デリダは、その西洋哲学における二項対立の価値観を否定し、解体をすることで、社会の在り方を否定したとも言えます。

話し言葉=パロール と、書き言葉=エクリチュールの対立だと考えたのが、デリダの面白さです。

書かれたもの(エクリチュール)は解釈が人によって様々であるため、ひとつのところに留まらず、誤解すら生む可能性があるが、デリダはその誤解・誤配を自体を悪いものと捉えておらず、その前提でする必要があると考えました。

未練込みで決断する

価値観は絶えず変わり続け、「薬でも毒でもある」というパルマコン的な両義的なものと考えることができます。

それでも、物事を先に進めるために、他の可能性を捨てて一つのことを選ぶ決断せざるえない場面は大いにあります。そして、その際に「考慮から排除したことに対する忸怩たる思い」が残ります。

千葉さんは、その未練こそが、他者への配慮だといっています。

人は決断せざるをえません。

(中略)

未練込みでの決断という倫理性を帯びた決断をできる者こそが本当の「大人」ということになるでしょう。

現代思想入門 p.54

私自身も決断する際は、なるべくシンプルに考えて「正しい答え」を導きたいと思っていますが、そんなに簡単にいかないことは多々あります。これまでは、悩むこと自体は自分が明確に「正しい答え」が見えてないからだと認識していましたが、この話をきいてハッとしました。

全てに「正しい答え」などそもそもないし、その割り切れない思いが大事なんだと。

悩むながらも、自分なりの答えを出し続けるしかないのですね。

ドゥルーズ 「存在の脱構築」

ここまで、デリダを見てきました。次にドゥルーズに入っていきます。

千葉さんは、ドゥルーズの唱えた「リゾーム」の概念について、「一見バラバラに存在しているものでも実は背後で見えない糸によって絡み合っている」と表現しています。

そしてその前提として、「あらゆる事物は、ことある状態になる途中であり、本当の始まりや本当の終わりはない」と言っています。

多様な実践

子供の頃の影響がずっと続いている「トラウマ」は心理学でも頻出しますが、そういったごく狭い範囲=家族における同一性だけで考えるのはリアルでないとドゥルーズは説いています。

それは、外から半ば強制的に与えられるモデルに身を預けるのではなく、多様な関係の中で色んなチャレンジをして自分の中で準安定状態を作り出していく生き方と言えます。

それに対して、千葉さんの意見として、ダブルで考える大切さを伝えています。

つまり、家族の問題の分析を行っていくと同時に、多様性をもった自分自身の活動を受け入れていくことです。

関わりすぎない

「リゾーム」は、多方面に広がっていく中心のない関係性のことです。大切なのは、あちこちに広がっていくと同時に、あちこちで途切れることがあるということです。

これも一見分かりずらいですが、このように千葉さんは表現されています。

関わりを言いすぎると、それによって監視や支配に転化してしまうという危険性があって、それに対するバランスとして、関わりすぎないということを言う必要もある。

現代思想入門 p.75

「関わらない」のではなく、あくまで「関わりすぎない」ことです。

一つの社会から逃れる動きは「脱走線」と呼ばれますが、「ノマド(遊牧民)」などもその考えにもとづくものです。

インターネット社会になってから、価値観の多様性が生まれてくると同時に、ある種の監視も始まったと指摘しています。

そういう時こそ、「互いに対する気遣いを持ち、しかもその気遣いが他者の管理にならないようにする」ことが大事であり、その難しい按配を維持することに注力しようと述べています。

千葉さんは、それをこんな言葉でまとめています。

まさにこれは、一人の人間にどう関わればその必要な愛になり支配にならないかというケースバイケースの判断が問われるということに他なりません。

現代思想入門 p.81

人との関係性に単純な答えはない。まさに一人一人のとの関わり合いが、まさに変化の途上にあると言えるのですね。

フーコー 「社会の脱構築」

フーコーが考えた権力の分析において、インパクトのある言葉が出てきます。

支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造がある。

現代思想入門 p.85

つまり、権力は上から押してつけられるだけではなく、下からそれを支える構造もあって、本当の悪玉を見つけるという発想自体が間違いだとしています。

実際の権力とは単純に上・下の関係だけでなく、無数の力関係で成り立っているというのです。そして、それを理解した上で、どのような権利の回路で動いているかを分析することが大事だと、千葉さんは主張します。

また、支配するものと、支配されるものが依存関係にあるならば、この構造から逃れることはできないのか?

それに対する答えは、秩序への外部への「逃走線」を引くことだとフーコーは言っています。

だがしかし、単なる二項対立構図では、逃走線を引くことができず、システムに囚われたままになるともいいます。それだけ、逃走線を引くことは難しいということでしょう。

「正常」と「異常」からの脱構築

今の社会では、多数派が「正常なもの」として、少数派が「異常なもの」「厄介なもの」として取り扱われる傾向が強くなっています。

社会的な統治は、人にやさしくなっていくようで、だんだんと強まっていくと思われます。

近現代社会は、「規律訓練と生政治が両輪で動いている」と千葉さんは言っています。

「規律訓練」とは、誰に見られていなくても自分で進んで悪いことをしないように心がける人々をつくりだすことです。

また、「生政治」とは、社会全体を即物的なレベルでコントロールしようとするものです。

人間は、本来他の動物とは違う「過剰さ」を持っており、本能的な行動をはみ出した「行動の柔軟さ」を持っています。

それこそが人間らしさともいえるのですが、現代社会はそれを整列させ行動のパターンを決めて、安心安全な世の中をつくろうとやっきになっています。

「新たな古代人」になる

フーコーは、人間がその過剰さゆえにもつ多様性を整理しすぎずに、泳がせておくような社会の余裕を持とうと言おうとしているのです。

それは、「つねに反省つづけなければならない主体」よりも前段階に戻ることであり、古代では「自己への配慮」としていました。

千葉さんは、一見捉えにくそうなフーコーの考え方を、こんなふうにまとめています。

ある種の「新たなる古代人」になるやり方として、内面にあまりこだわりすぎず自分自身に対してマテリアルに関わりながら、しかし大規模な生政治への抵抗としてそうする、ということがありうると思います。

現代思想入門 p.106

もっとくだけた表現として、世間の範疇から飛び出しても「自分自身の人生なのだから」と構わずに、世俗的自由に生きることだと言っています。

強くなりすぎた社会的な秩序に囚われすぎず、自分自身と向き合うことが大切だと改めて気づかせてくれる内容でした。

理解が深まる、おススメの副読本

私が現代思想への理解を深めるために、ガイドとして2冊の哲学関連本を読んでいたので、あわせてご紹介します。

近代までの哲学の歴史などの背景を知るとより、知識がつながっていくので、おススメです。

①「史上最強の哲学入門」:飲茶(ヤムチャ)

新旧の哲学について、「真理」「国家」「神様」「存在」をテーマについて、格闘技を見るかのように主張が繰り広げられます。

話し言葉の平易な言葉で書かれていますが、長い歴史で人間がどう向き合ってきたかがわかり、興味深く読めます。

ちなみに、飲茶さんが今回の脱構築の用語解説をするとこんな感じになります。

「学問界の偉そうな年寄り連中が、ビルみたいなカチコチの理論を構築したがるけど、そういうのってもうウンザリだよね!

そういう構築の風潮から脱出しよう!」

出典:「14歳からの哲学入門」飲茶

②「哲学用語図鑑」:田中正人

哲学は概念的であるため、なかなか理解しずらく、そして過去の哲学思想は前提となっていることも多いです。

この本では、イラストと分かりやすい表現で哲学用語を解説してあり、出てきた用語に目を通していくと全体の理解が深まります。

今日のまとめ

哲学書をちゃんと読んだのは今回が初めてでしたが、すごく興味深く読めました。いまだに頭の中をグルングルンと色んな考えがめぐっています。

人類が長い歴史の中で考えてきたことと、現代に目の前に起きていることを踏まえた上で、こうした思想が出来上がっています。そう考えると、まさに人類が積み重ねてきた結晶のようなものであり、感慨深く感じました。

この本は「入門書のための入門書」という位置づけなので、今後さらに読み進めたいです。

▼おまけ 哲学を学ぶ意義とは?

「真面目なことをいえば、ビジネスでは、目的や時間軸が設定されて、それらを前提として思考することになります。哲学には『根本から問い直す』という側面もあるので、限定された目的から自由になって物を考えることで、『違う選択肢が見える』のではないでしょうか」

引用:斎藤哲也氏に聞くー哲学への初めの一歩の進め方

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