先日、オリンピックに出場した為末大さんの講演を聞く機会がありました。
その中で、世界選手権で銅メダルを取った後、燃え尽き症候群のようになった時に自分を救った一冊として、「夜と霧」を挙げていました。
勿論、私も書名は聞いたことはありましたが、中身については読んだことはありませんでした。
個人的に近代の残虐な歴史から目を背けていたわけではないのです。むしろ思い返せば、学生時代の最後の旅行で欧州に行き、アウシュビッツも見に行ったこともありました。
それでも、社会人になってから多忙であり、自分自身にも心の余裕がなかったため、この種の強い衝撃を受けそうな本を読むことが出来なかったのかもしれない。
直接的でも間接的でも、勧められた本は必ず読もうと決めているので、意を決して読み始めました。
「夜と霧」
あらすじ
この本はアドラーやフロイトに師事したことで知られる心理学者、ヴィクトール・E・フランクルがナチスによる強制収容所での生活について綴った体験記です。
彼はユダヤ人であるとのただその理由によって、1942年から1945年にかけてアウシュビッツを含む数カ所の強制収容所に収容されています。
彼は終戦直前にようやく強制収容所から解放されて、戦後の1946年にこの本が出版されました。
原題は『心理学者、強制収容所を体験する』です。その名の通り、心理学者であった著者が、強制収容所に収容された人々の生活や心理状況などを描写しています。
旧訳では写真なども多く戦争下の悲劇を強く表していますが、新訳では写真などいっさいなく、まさに人間の深い心理を表現しています。
戦後70年たった今でも多くの人に読み継がれています。
日本語版のタイトル
「夜と霧」という特徴的な日本語のタイトルは、占領地の反ドイツと目された政治家や活動家を連行せよという命令(1941年のナチス総統令)の通称からとったものです。夜の闇に隠れて、気づかれないうちに事をすすめろということで名づけられました。
「夜と霧」がそこからとられたとは最後の解説を読むまで知りませんでしたが、戦争下にでの何か暗いものを感じさせる強いインパクトをもったタイトルです。
生きる意味とは
私自身の強い印象に残ったのは、フランクルの考え方が凝縮されたこの一節。
一見、パッと読んだ時にすぐに意味が飲み込みませんでした。
「生きていることにもうなんにも期待がもてない」という者に対して、何を伝えるべきかとのくだりで出てきたのがこの言葉であり、さらにはこう続きます。
”もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ”と。
フランクル研究者である諸富祥彦さんは、この一文を次のように解説しています。
”私たち人間がなすべきことは、生きる意味はあるのかと「人生を問う」ことではなくて、人生のさまざまな状況に直面しながら、その都度、「人生から問われていること」に全力で応えていくこと”
私自身、普段の生活の中でふと、「何のために生きているのだろう」とぼんやり考えることがあります。
しかし、自分がこうなりたいとか、将来によいことが起きそうだと淡い期待を描くことではなく、むしろ、与えられた人生というものに対して自分自身が問われているのでしょう。
そして、その問いに対して、実際の行動や正しい態度で対応すること自体が答えなのです。
「夜と霧」を理解する上で学びになったサイト
フランクル『夜と霧』における人生の意味のコペルニクス的転回について (森岡正博:早稲田大教授)
~ 人生の意味について新旧版の日本語訳やフランクルの他の書籍などをヒントにひも解いています。
コロナ時代の必読本『夜と霧』から学ぶべきこと (近藤慎太郎:医師兼マンガ家)
~ コロナ禍にどう考え方を生かしていくかがよくわかります。
フランクルの「名言」に学ぶ心を強くする考え方 (松山 淳: 研修講師/心理カウンセラー )
~ ダイヤモンドオンラインでの12回シリーズ。読み応えがあり、理解が深まります。
『夜と霧』をイラストで理解しよう! (荒木 博行)
~ ビジネス書の図解本も出されている方。さすがにポイントがまとまっています。
今日のまとめ
この本はやはり強いインパクトがありました。
過酷な状況下でもどう生きていくかを改めて自分に問う機会になりました。
しかし、正直なことを言えば、今のところ、他人にうまく説明ができるほど考えがまとまっていないです。
またのタイミングで改めて考えるためにも、不完全な形でも今考えたことを残しました。
それほど強いインパクトがあった本でした。
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